大正 9年:
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東京都渋谷区にて初代社長加藤豊治により「加藤黒鉛マンガン精錬所」として創立。電池用二酸化マンガン、黒鉛粉末の精錬を業とする。
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昭和14年:
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現所在地、横浜市都筑区池辺町に「第一カーボン株式会社」を設立。乾電池用炭素棒の製造を拡大。
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昭和15年:
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横浜市鶴見区にステンレス等の特殊金属熱間圧延鍛造、並びに型打鍛造品工場として「「第一鍛工株式会社」を新設。
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昭和20年:
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第二次大戦の空襲により「加藤黒鉛マンガン精錬所」焼失。従業員、精錬設備を「第一カーボン株式会社」併合。
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昭和30年:
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映写用アークカーボン製造販売を開始。
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昭和32年:
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第一カーボン内に鍛造工場を付設。
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昭和45年:
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乾電池用、電解二酸化マンガン製造を本格化。
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昭和46年:
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1000トン鍛造プレスを増設、熱間鍛造事業を拡大。
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昭和52年:
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鋼材加工、建設熔接等に供するガウジングカーボンの製造販売を開始。
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昭和54年:
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熱間鍛造部門に、高速1000トンプレスを導入。
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昭和55年:
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光線治療用アークカーボンの製造販売を開始。
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昭和60年:
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米国籍輸出入商社「日本マーブル株式会社」を吸収。
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平成 3年:
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型打用1500トン鍛造プレスを導入し、小型鍛造品の製造を強化。
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平成 5年:
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「第一鍛工株式会社」を吸収合併。鍛造事業を本社に一本化。
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平成 6年:
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鉄道関連部門を設置し、鉄道軌道用部品の製造販売を強化。
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平成 7年:
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インドネシア、ジャカルタ-ボゴール州境に「PT.INDAC社」を設立。電池用電極を主体とする炭素応用商品の並行生産を開始。
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平成10年:
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海外工場「PT.INDAC社」に120m焼成炉2基を増設し、炭素製品の品種拡大と生産増強。
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平成16年:
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炭素製品の製造をインドネシア工場「PT.INDAC社」に全面移管し、現横浜工場を特殊鋼熱間鍛造と型打鍛造部品製造に特化。
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平成22年:
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熱間鍛造部門に、2000トン油圧プレスを導入。
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